本佐倉城
千葉県印旛郡酒々井町のイベントに参加してきました。
■本佐倉城探訪2
■開催日:平成22年10月24日(日)
■参加者:8人づつのグループにて説明員とウォーキング(山登り?)
14グループ
出発 9:05 戻り 12:35 およそ3時間
その間、休憩にて地元産の米のおにぎりをいただき、焼き芋をいただきました。
■みなさん、『本佐倉城』と聞いて、『えっ、佐倉城じゃないの?』と言われる方が多いと思います。約20年間佐倉の東のはじ(成田街道(R296)で佐倉市と酒々井町との境となる大蛇町に住んでいました。小学1年から大学5年?まで隣町にいたのですが、本佐倉城は、本当に知りませんでした。小中高と佐倉の学校だったのですが、城といえば、NHKのドラマにも出た、佐倉城(現在、国立歴史民族博物館)でした。
佐倉中学は、まさに城の一部分にありました。向かいは、佐倉東高(当時、女子高)でした。
■前置きが、長くなりましたが、今、言う佐倉城は、江戸時代ですが、本佐倉城は、戦国時代の千葉氏の城でした。
ここでまた、千葉氏の城は、千葉市の千葉城じゃないの?
私もそう思っていました。確かに、千葉市の千葉城(別名:亥鼻城)は、ありました。千葉氏は、源頼朝の後見役となりみごと源頼朝が鎌倉幕府を作り、そして千葉氏は、鎌倉時代から大きな権力を持つことができました。
ところが、内紛により千葉城が1454年に荒廃されたため、本佐倉城を主となる城としました。千葉氏は、後北条についたため、1590年に豊臣秀吉による小田原攻めとともに、滅亡となりました。
戦国の約100年、本佐倉が本城で、その出城として、【鹿島城】、【臼井城】がありました。その鹿島城が、江戸時代に佐倉城に生まれ変わりました。
臼井城は、あの上杉謙信が、数回戦いに来ています。みごと、上杉軍を撤退させています。
中学高校の授業で、身近な、本佐倉城の事も話をしてくれたら、戦国時代に凄く興味を持ち、社会の成績も良かったのではないかと。。。
実際、上杉謙信は、川中島の戦いが有名ですが、地元の臼井でも戦っていたということを知っていれば。(知ったのは、ついこの2010年7月でした)
ということで、地元の人たちも良く知らなかった? のか 広めなかったのか?
そのおかげで、ほとんど手付かずで残ってくれたのです。
(でも本佐倉城は、一度も戦場にならなかったとのこと)
■読み方
みなさん、読めますか?
①酒々井町
『しすいまち』と読みます。
②本佐倉
『もとさくら』と読みます。私が、小学時代は、『もっつぁくら』と呼んでいました。小学時代、珠算塾に行っていましたが、場所が転々として6年の時は、上本佐倉にあり通っていました。『かみもとさくら』ですが、やはり『かみもっつぁくら』と呼んでいました。
③大蛇
『おおじゃ』と読みます。大蛇町は、すなおに『おおじゃまち』です。(これは佐倉市です)
④猿楽場
『さがくば』または、『さかくば』と読みます。本佐倉のバス停として残っています。
では、写真をどうぞ。前書きが長くなり申し訳ありません。